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03 . May
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06 . September


2003年、躍進が期待されたシアトル・ストームだったが、シーズン終盤に調子を崩し、惜しくもプレイオフ進出を逃してしまった。しかし、そのようなハンデがありながらも、ローレン・ジャクソンは得点1位、リバウンド4位、ブロック1位の素晴らしい成績でシーズンMVPに選出された。現在最高のアメリカ出身センターはリサ・レスリーだろうが、アメリカ以外出身の最高のセンターはローレンであることは間違いないであろう。しかもまだ若干22歳!まだまだ伸びる余地のある、末恐ろしい選手である。


ローレン・ジャクソンはオーストラリアのアルバニーという小さな町で生まれ育った。彼女は、父親は75年のナショナルチームメンバー、母親は米国のルイジアナ州立大学でプレーし、オーストラリアでも8年プレーしたという家に生まれ、生後2週間のときから母親の遠征についていくようになった。5歳でプレーを始め、8歳で初めてチームに所属。15歳のときには故郷を離れ、一流のスポーツ選手を育成する機関である「オーストラリア・スポーツ・インスティテュート」へ進んだ。厳しいトレーニングを重ねたローレンは、17歳の史上最年少でナショナルチーム入りし、2000年の地元シドニー五輪ではアメリカに敗れたものの、銀メダルを祖国にもたらした。また、オーストラリアでのプロリーグでは、所属するキャンベラ・キャピタルズを2年連続優勝に導き、押しも押されもせぬ大スターになったのである。

01年のWNBAドラフトで、ローレンは全体1位でシアトル・ストームに指名された。1年目から平均15得点を記録するなど、期待に違わぬ活躍を見せたローレンだったが、チームは残念ながら最下位に終わった。しかし、翌年のドラフト運良くNo.1ピックを得たストームはスー・バードを獲得し、ポイントガードとセンターという要のポジションにオールスタープレーヤーを抱えることとなった。一躍リーグの台風の目となったストームは、02年にはチーム初のプレイオフに進出した。ローレンとスーのダイナミック・コンビがストームを黄金時代に導く日もそう遠いことではないだろう。

(Last Update 2004/1/12)
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