2004年4月17日、史上最高のシニアクラスが揃ったといわれるWNBAドラフトで、No.1ピックを持つフェニックス・マーキュリーは迷うことなくダイアナ・タラージを指名した。ドラフトの2週間前に行われたファイナル・フォーで、コネチカット大を3連覇に導き、自らも2年連続ファイナル・フォー最優秀選手に選ばれ、有終の美を飾ったディー(ダイアナの愛称)は、史上最高の女子バスケット選手になる可能性を秘めている。カレッジで考えられる限りすべての栄冠を手にしたディーが、WNBAで今後どんな進化を遂げるのか、われわれは歴史の証人になるかも知れない。
ダイアナ・タラージはカリフォルニア州チノで生まれ育った。両親はイタリアからの移民で、家庭では今もスペイン語で話をするという。ダイアナは小さい頃から人形で遊ぶよりも、屋外のコートでボール遊びをするのが好きな少女だった。8歳で本格的にプレーを始めると、13歳の時には既にカレッジからの勧誘レターが舞い込むほどまでになっていた。
地元のハイスクールでの4年間は、州選手権準決勝進出が最高であったが、ダイアナ個人は全米最優秀ハイスクールプレーヤー、2年連続ハイスクール・オールアメリカンに選ばれ、全米の大学がリクルートに訪れた。両親は地元のUCLAへの進学を望んだが、ダイアナは故郷から3000マイル離れたコネチカット大への進学を決めた。
ダイアナが入学したチームには、スヴェトラナ・アブロジモヴァ、スー・バード、スウィン・キャッシュなど錚々たるメンバーが揃っていた。当初は控えとしてプレーしていたが、上級生が怪我をするとたちまちその穴を埋め、ビッグ・イースト・トーナメントでは1年生として初のMVPに輝いた。2年生時には史上最強とも言われるチームのSGとして大活躍し、39戦全勝の圧倒的強さでNCAAチャンピオンとなった。
(Last Update 2004/4/21)
スタメン4人が卒業し、4年生がいないという状況で大幅に戦力ダウンと見られていた3年生時、ダイアナはほとんど独力でチームを2連覇に導き、全米を驚かせた。そして、万を持して迎えた4年目であったが、怪我にも悩まされ、レギュラーシーズンでは思わぬ負けも喫し、久々にNCAAトーナメントで第1シードを逃した。しかし、大試合で本領を発揮するダイアナは、見事にチームを3連覇に導いたのである。
エリートチームのエースとして全米中に知られたダイアナの存在は、WNBAにとっても人気拡大の最大のチャンスである。バード&マジックが80年代にNBAを救ったように、同期でミスティクスに入団するデューク大のアラナ・ビアードとともに、ダイアナに寄せられる期待は計り知れない。
PR