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20 . April
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06 . September


「マリーは今までで最もアスレティックなプレーヤーだ」。シルバースターズのチームメイト、ジェニファー・エイッジ、母校のルイジアナ州立大のヘッドコーチ、スー・ガンターの二人がマリー・フェルディナンドについて同じ感想を述べている。素早いファーストステップからのワン・オン・ワンの爆発力や、その瞬発力を生かしたスチールなど、確かにマリーの運動能力はWNBAの中でもトップクラスに位置するであろう。彼女は尊敬するマイケル・ジョーダンのように、オフェンスだけでなくディフェンスでも一流選手になりたいと願っている。マリーの究極の目標は最優秀ディフェンス賞なのである。


フロリダ州マイアミで生まれ育ったマリーは、中学2年までバスケットをプレーしたことはなかった。しかし、友人に誘われてトライアウトに参加したマリーは、コートでボールを手にした瞬間、バスケットボールと恋に落ちた。来る日も来る日も男子に混じってプレーしていたマリーは、ハイスクールでその才能を開花させ、3年連続フロリダ州最優秀選手に選ばれた。フロリダ大に進むと見られていたマリーだったが、その才能に目をつけて熱心に勧誘されたルイジアナ州立大に進むこととなった。1年目は怪我でプレーできなかったが、2年からいきなりスタメンとなり、4年時にはオールアメリカンに選ばれるほどに成長したのである。

2001年のWNBAドラフトでマリーはユタ・スターズに指名された。シーズン途中でスタメンに定着した彼女は、スターズを初のプレーオフに導いた。オフにチームメイトのマーゴ・ディデックと彼女の祖国ポーランドでプレーしたマリーはさらにプレーの幅を広げ、翌シーズンには平均得点15.3点を挙げ、オールスターチームにも選ばれ、プレーオフでは強豪コメッツを撃破する大金星を挙げた。2003年、フランチャイズをサンアントニオに移したチームは、まさにマリーのチームとなった。初年度はチームの歯車がうまく噛み合わず苦戦したが、マリーはNBAでのロケッツ-スパーズに負けない、コメッツ-シルバースターズのライバル関係を構築したいと願っている。

(Last Update 2004/1/28)
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