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19 . March
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06 . September


卓越したリーダーシップ、正確なジャンプショット、最優秀ディフェンス選手に3度も輝く鉄壁の守り、シェリル・スウープスはWNBAを代表する万能選手である。97年に男の子を出産したママさん選手で、全米で大きな人気を誇っており、ナイキから彼女の名前を冠した「エア・スウープス」というシューズさえ発売されている。コメッツを4回の優勝に導き、MVPも2回受賞するなど、いろんな面で「WNBAのマイケル・ジョーダン」と呼ぶにふさわしいのは、彼女ではないだろうか。


シェリルはテキサス州のブラウンフィールドという小さな町で生まれ育ち、二人の兄とともにプレーを始めた。兄たちに鍛えられたシェリルは、男子顔負けのプレーをするようになり、8歳のときには地元のユースチームを全米優勝へと導いた。16歳でテキサス州の最優秀プレーヤーに選ばれたシェリルはテキサス大に進むが、ホームシックにかかり3日で大学を辞めてしまう。故郷に戻りジュニアカレッジでプレーすると、今度は家の近くのテキサス工科大に編入した。93年には全米最優秀選手に選ばれると同時に、NCAAトーナメント決勝で47得点(これは男女通じて決勝での最高記録)を挙げてチームを勝利に導いた。大学卒業後、イタリアでプレーを始めたものの、またホームシックにかかり、3ヶ月で米国に帰ってきてしまった。その後故郷で銀行の窓口として働いていたシェリルに、アトランタオリンピック代表チームへの選抜が告げられる。五輪で大活躍をしたシェリルは、WNBAの旗揚げに伴い、地元のヒューストン・コメッツでプレーすることとなった。

WNBA初のシーズンが幕開けして数日後、シェリルは息子ジョーダン(!)を出産した。退院後すぐにトレーニングを開始したシェリルは、シーズンの終盤に復帰、コメッツ初の栄冠に貢献し、全国のワーキング・マザーの希望の星となった。2年目からはその得点能力を遺憾なく発揮し、シンシア・クーパー、ティナ・トンプソンとの強力なトリオでコメッツを驚異の4連覇へ導いたのである。01年は怪我で全休したものの、その後も常にWNBAのトップレベルでプレーしているシェリルの指に、新たなリングが増える日もそう遠くないであろう。

(Last Update 2004/1/7)

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