
ヒューストン・コメッツは
WNBAのオリジナルチームの1つであり、WNBA創設された1997年から4連覇を果たし、WNBA史上最初のダイナスティを極めたチームである。シンシア・クーパー、シェリル・スウープス、ティナ・トンプソンという3人のスーパースターを中心としたチームは破壊力抜群で、バランスの取れた素晴らしいチームであった。
カンファレンス:ウェスタン
創設:1997年
アリーナ:レリアント・アリーナ
ホームタウン:テキサス州ヒューストン
チームカラー:赤・青
オーナー:WNBA
GM:カーリーン・トンプソン
ヘッドコーチ:カーリーン・トンプソン
WNBAチャンピオン:4回(1997, 1998, 1999, 2000)
カンファレンス・チャンピオン:4回(1997, 1998, 1999, 2000)
永久欠番:キム・ペロー(10)、シンシア・クーパー(14)
【ヒストリー】
コメッツはWNBAオリジナルチームの一員。1997年のWNBA初シーズンに、ファイナルでニューヨーク・リバティを破り、初代WNBAチャンピオンに輝いた。1998年にはチームの増加にともない、カンファレンスをイースタンからウェスタンに移動した。この年、フェニックス・マーキュリーとのファイナルを制し、2年連続のWNBAチャンピオンとなる。
1999年、ビッグ3と称されたシンシア・クーパー、シェリル・スウープス、ティナ・トンプソンの活躍で、コメッツはリバティを破って、三度WNBAチャンピオンシップを獲得した。この優勝は、シーズン前に胃がんが発見され、8月に亡くなったキム・ペローに捧げるために、チームが一丸となった結果であった。
2000年、コメッツはまたしてもファイナルでリバティを撃破して優勝し、ダイナスティ(王朝)と呼ばれるようになった。しかし、クーパーが2001年に引退すると、プレイオフでは1回戦で敗退する。2002年はスウープスが前十字靱帯断裂でシーズンのほとんどを欠場した結果、再び1回戦で姿を消した。2004年にはチーム史上初めてプレイオフを逃したが、翌年には再びプレイオフ進出を果たした。2006年にプレイオフ1回戦でモナークスに敗れると、オフシーズンにフロントオフィスの改革に乗り出した。2006年10月に、NBAヒューストン・ロケッツのオーナーでもあるレスリー・アレクサンダーがコメッツを売却する意思を発表し、2007年1月には創設期からヘッドコーチを務めてきたヴァン・チャンセラーが辞任。2007年1月31日、WNBAはヒューストンの実業家ヒルトン・コッチへの売却を承認し、その2週間後にカーリーン・トンプソンがGM兼ヘッドコーチに任命された。2007年12月、コッチは2008年のホームアリーナをトヨタ・センターからレリアント・アリーナへ移すことを発表。2008年8月、コッチがチームの売却を決め、現在はWNBAがコメッツのオーナーになっているが、ヒューストン地区で新たな買い手が現れない場合、チームは消滅するか他の都市へ移る可能性がある。
【シーズン別記録】
シーズン |
勝 |
負 |
勝率 |
プレイオフ |
1997 |
18 |
10 |
.643 |
WNBAチャンピオン |
1998 |
27 |
3 |
.900 |
WNBAチャンピオン |
1999 |
26 |
6 |
.813 |
WNBAチャンピオン |
2000 |
27 |
5 |
.844 |
WNBAチャンピオン |
2001 |
19 |
13 |
.594 |
1回戦敗退 |
2002 |
24 |
8 |
.750 |
1回戦敗退 |
2003 |
20 |
14 |
.588 |
1回戦敗退 |
2004 |
13 |
21 |
.382 |
出場せず |
2005 |
19 |
15 |
.559 |
カンファレンス・ファイナル敗退 |
2006 |
18 |
16 |
.529 |
1回戦敗退 |
2007 |
13 |
21 |
.382 |
出場せず |
2008 |
14 |
12 |
.538 |
|
合計 |
238 |
144 |
.623 |
|
プレイオフ |
20 |
14 |
.588 |
優勝4回 |
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