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29 . March
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09 . September

彼女で思い出すのは、ミネソタ大学4年生のときのNCAAトーナメント準々決勝で、アラナ・ビアード率いる優勝候補のデュークを見事破った試合です。縦横無尽にデュークのディフェンスを切り裂く大活躍で、ミネソタ大を初のファイナルフォーに導いたのでした。速攻からのスピンムーブでディフェンスを置き去りにしたプレーは、思わず声を上げてしまうほど素晴らしかったです。
 
名前:リンジー・ウェイレン
ポジション:ポイントガード
身長:173cm
体重:68.0kg
所属:コネチカット・サン
背番号:13
生年月日:1982年5月9日
出身地:ミネソタ州ハッチンソン
大学:ミネソタ大学
ドラフト:2004年1巡目4位指名(コネチカット・サン)
主な受賞歴:
コダック・オールアメリカ・ファーストチーム(2003)
WNBAオールスター(2005)


From Wikipedia & WNBA.com

 《高校時代》
 
ミネソタ州のハッチンソン高校で、4年連続でオールカンファレンスチームに選出。3年連続でカンファレンス・チャンピオンに導いた。
 
《大学時代》
 
2000年に高校を卒業後、ミネソタ大学に進み、たちまちスター選手となった。2年生で早くもビッグ10カンファレンスの年間最優秀選手賞を受賞。2年生でこの賞を受賞したのはわずか3人目であった。4年間で、ウェイレンはカンファレンスで最下位だったチームを、ファイナルフォーにまで躍進させたことで、ミネソタ州の英雄となった。1年生のシーズンの1試合平均観客数はわずか約1,000人だったのが、4年生のシーズンには10倍の1万人弱にまで増えたという事実がそのすさまじい人気を物語っている。
 
ウェイレンはミネソタ大の歴代最多得点記録(男子含む)を塗り変え、ビッグ10カンファレンスの歴代では第5位にランクインした。大学通算の1試合平均得点は20.3点であった。
 
ウェイレンは数々の栄誉を受賞し、彼女の背番号13がミネソタ大学の永久欠番となった1月3日は「リンジー・ウェイレン・デー」と称されるようになった。ウェイレンの与えた影響は、ミネソタ大学では既に伝説となっている。
 
WNBA時代》
 
ウェイレンは2004年のWNBAドラフトで、コネチカット・サンにより1巡目4位で指名された。この年、1巡目の7位の指名権を持っていたミネソタ・リンクスは、地元のスーパースターを獲得しようと、6位指名権をトレードで獲得するなどし、この指名権を使ってサンとのトレードを画策した(上位3名はダイアナ・タラージ、アラナ・ビアード、ニコール・パウエルで固かった)が、足元を見たサンが法外な条件を要求した(スターターの3名を要求したと噂されている)ため、ウェイレンのリンクス入りは実現しなかった。仮にウェイレンがリンクスに入ったとしたら、リンクスの観客動員数は飛躍的に伸びることになったと思われる。
 
1年目途中からポイントガードとして先発になると、その勝負強さを発揮し、2004年、2005年と2年連続でサンをWNBAファイナルに導いたが、ストームとモナークスにそれぞれ敗れた。2005年のファイナルで痛めた左足首の靭帯を手術したため、2006年当初はプレー時間が限られたものの、初めてのオールスターに選出されるなど、見事な回復を見せた。チームもプレイオフに進出したものの、カンファレンス・ファイナルでショックに力負けした。
 
2007年は、アシストでリーグトップ(5.0でベッキー・ハモンと同率)になり、自己最高の平均得点(13.4)を記録するなど、充実したシーズンとなった。プレイオフでは1回戦で、3試合中2試合が延長(うち1度はトリプル・オーバータイム)にもつれ込む死闘の末、フィーバーに敗れた。
 
なお、2007年10月6日に、ミネソタ大OBのゴルファーと結婚した。

(Last Update 2008/9/9)
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