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アメリカ女子プロバスケットボールリーグ、WNBAの情報サイトです!
29 . March
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13 . September

WNBAを草創期から支えてきた功労者であり、好き嫌いが分かれる選手ですが、バスケットボールの実力は認めないわけにはいきません。ゴール下の支配力はいまだ衰えず。ミドルレンジのシュートも意外にうまく、調子がいいときはまさにアンストッパブル。2007年を出産のために全休したおかげで、後継者のキャンディス・パーカーも入団し、リサが引っ張ってきたスパークスという伝統のバトンが引き継がれる日も遠くないかもしれません。
 
名前:リサ・レスリー
ポジション:センター
身長:196cm
体重:77.1kg
所属:ロサンゼルス・スパークス
背番号:9
生年月日:1972年7月7日
出身地:カリフォルニア州ガーデナ
高校:カリフォルニア州モーニングサイド高校
大学:南カリフォルニア大学(USC)
ドラフト:WNBAによりロサンゼルス・スパークスに配属
主な受賞歴:
レギュラーシーズンMVP(2001, 2004, 2006)
ファイナルMVP(2001, 2002)
オールスターMVP(2001, 2002)
最優秀ディフェンダー賞(2004)
オールWNBAファーストチーム(1997, 2000, 2001, 2002, 2003, 2004, 2006)
オールWNBAセカンドチーム(1998, 1999, 2005)
オリンピック金メダリスト(1996, 2000, 2004, 2008)


From Wikipedia & WNBA.com

 
《高校時代》
 
リサはバスケットを始めた13歳のときには既に183cmと背が高く、当時から有望な選手として有名であった。彼女を一躍全米で有名にしたのは、モーニングサイド高校時代に前半だけで101得点を記録した試合である。相手チームが後半を棄権しなければ、シェリル・ミラーが持つ1試合105得点の高校記録を軽く塗り変えたであろうと言われている。1990年には、全米最優秀高校女子選手に選出された。
 
《大学時代》
 
高校卒業後、名門南カリフォルニア大学に進学。在学中は4年連続でパック10カンファレンスファーストチームに選出されたが、これはいまだに同カンファレンス史上唯一の快挙である。NCAAトーナメントにも4年連続出場。通算得点(2,414)、リバウンド(1,214)、ブロックショット(321)は、現在もパック10史上1位の記録である。4年時の1994年には、全米最優秀選手に選出された。
 
WNBA時代》
 
1996年のアトランタ五輪で金メダルを獲得した後、WNBAオリジナルメンバーのひとりとして、ロサンゼルス・スパークスに配属された。シーズン開始前から、開幕試合でダンクを成功させることを宣言していたが失敗。1997年、1998年とリーグのリバウンド王に輝く。
 
1990年代後半は、毎年プレイオフに進出するも、4連覇を成し遂げたヒューストン・コメッツに行く手を阻まれ続けた。2000年のシドニー五輪で2個目の金メダルを獲得し、充実期を迎えたスパークスは遂に2001年にコメッツをプレイオフ1回戦で下し、ファイナルではシャーロット・スティングを破って、初のWNBAチャンピオンを獲得した。この年、リサは同一シーズンでレギュラーシーズン、オールスター、ファイナルすべてのMVPを獲得した初の選手となった。
 
2002年もリサにとって素晴らしい年となった。世界選手権で金メダルとMVPを獲得し、7月22日にはWNBAで初めて通算3,000得点を記録した。7月30日、マイアミ・ソル戦でWNBA初のダンクを成功させた。ラターシャ・バイヤーズのスティールからのアウトレットパスを受けたリサは、そのまま速攻でワンハンドのダンクを成功させ、ステイプル・センターはお祭り騒ぎとなった。
 
オールスターで2年連続のMVPを獲得すると、プレイオフでも全勝で2連覇を飾り、自身も2年連続のファイナルMVPに輝いた。
 
2004年7月29日に、通算得点を4,000得点に伸ばす。2005年のオールスターゲームでは、試合終了間際に2度目のダンクを成功させた。
 
2006年6月25日のサンアントニオ・シルバースターズ戦でキャリアハイの41得点を記録し、同時に通算5,000得点を達成。シーズン終了後には、自身3度目のレギュラーシーズンMVPを受賞した。
 
《アメリカ代表》
 
リサはアメリカ代表として、1996年アトランタ、2000年シドニー、2004年アテネ、2008年北京と出場したすべてのオリンピックで優勝し、4個の金メダルを獲得している。
 
2008年8月23日、アメリカは北京オリンピック決勝でオーストラリアを92対65で破り、優勝。表彰式で、リサは獲得したばかりのメダルを含む4つの金メダルを首にかけ、満面の笑みを浮かべて、アメリカ国歌を聴きながら体を揺らしていた。それは代表キャリアの完璧なエンディングであった。
 
リサはアメリカ代表として32戦全勝の記録を残し、テレサ・エドワーズに続いて4個の金メダルホルダーとなった。
 
《国際経験》
 
1994~95年はイタリア、2005~06年はロシアのスパルタク・モスクワでプレーした。
 
《モデル・女優業》
 
リサはその容姿を生かして、ファッションモデルや女優としても活躍の場を広げてきた。1996年にモデルエージェントと契約し、アルマーニ、トミー・ヒルフィガー、アン・クライン等のモデルを務めた。
 
2005年のNCAAトーナメントではESPNで解説を担当。母校USCの試合解説やNBA関連番組にも出演し、現役引退後は放送関係の仕事に就きたいと希望している。TVドラマやバラエティ番組にも数多くゲスト出演しているほか、スパークスのCMにも出演している。
 
《その他》
 
2005年11月に海軍パイロットで元バスケット選手のマイケル・ロックウッドとハワイで挙式。2007年6月15日に娘ローレン・ジョリーを出産。妊娠・出産のために2007年シーズンは全休した。

(Last Update 2008/9/12)
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