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03 . May
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09 . September

コネチカット大時代の試合を見て、わたしが一瞬で心を奪われたのがダイアナ・タラージである。正確無比な3ポイントシュート、相手ディフェンスを切り裂くドライブ・イン、卓越したリーダーシップ、どれをとっても一級品のオフェンシヴ・マシーンである。大学3連覇に続き、WNBAでもマーキュリーをチャンピオンに導き、北京五輪では金メダルを獲得、ダイアナの快進撃は止まる気配を見せていない。
 
名前:ダイアナ・タラージ
ポジション:シューティング・ガード/ポイント・ガード
身長:183cm
体重:78.0kg
所属:フェニックス・マーキュリー
背番号:3
生年月日:1982年6月11日
出身地:カリフォルニア州チノ
高校:カリフォルニア州ドン・ルゴ高校
大学:コネチカット大学
ドラフト:2004年1巡目1位指名(フェニックス・マーキュリー)
主な受賞歴:
ビッグ・イースト・カンファレンス年間最優秀選手(
2003, 2004)
ウェイド・トロフィー(2003)
ネイスミス・アワード (2003, 2004)
NCAAトーナメント最優秀選手(2003, 2004)
WNBA新人王(2004)
オールWNBAファーストチーム(2004, 2007)
WNBAオールスター(2005, 2006, 2007


From Wikipedia>
 
【キャリア】
 
《高校時代》
カリフォルニア州ドン・ルゴ高校でプレーしたダイアナは、2000年に南カリフォルニアの最優秀選手に授与されるシェリル・ミラー賞を受賞した。彼女の名声はカリフォルニア州に留まらず、同年ネイスミスおよびパレード・マガジンの全米最優秀選手にも選出された。ダイアナが高校時代に記録した3,047得点は、シェリル・ミラーに次ぐカリフォルニア州歴代2位の記録であった。
 
なお、ダイアナの父親マリオはイタリア生まれのアルゼンチン育ちで、アルゼンチン人の妻リリアナとともに、ダイアナが生まれる前にアメリカへ移住してきた。今でも家庭ではイタリア語が使われているという。
 
《大学時代》
 
華々しい高校での活躍後、ダイアナは強豪コネチカット大学に入学した。主にポイント・ガードとシューティング・ガードとして、2年次から4年次にかけて3年連続のNCAAチャンピオンに輝いた。コネチカット大のコーチ、ジノ・オリエマは勝利の要因を尋ねられ、「うちにはダイアナがいる。相手にはいない。」という有名なフレーズを使った("We have Diana, and you don't.")。
 
ダイアナは2003年と2004年のネイスミス年間最優秀選手賞、2003年ウェイド・トロフィー、2003年AP年間最優秀選手等、数々の栄誉を受賞。全米的な称賛に加え、コネチカット州では圧倒的な人気を誇った。例えば、コネチカット州選出上院議員のトーマス・ギャフィーは、ダイアナを伝説的な教育者であるプルーデンス・クランドールと並ぶ州のヒロインであると称えた。ダイアナのコネチカット大における個人成績は、1試合平均15.0得点、4.3リバウンド、4.5アシストで、在籍中のチーム成績は139勝8敗であった。
 
WNBA時代》
 
大学卒業後、2004年のWNBAドラフトで前年度8勝26敗という成績だったフェニックス・マーキュリーに1巡目1位で指名された。
 
WNBAデビューとなるシアトル・ストーム戦では26得点を挙げ、いきなりチームの勝利に貢献。1年目のシーズンは、1試合平均17.0得点、4.4リバウンド、3.9アシストの成績を残した。マーキュリーはプレイオフを逃したが、ダイアナはオールスター・チームにも選出され、最優秀新人賞も受賞した。
 
2005年、ダイアナは足首の怪我を負いながら、1試合平均16.0得点、4.2リバウンド、4.5アシストの成績を残し、2年連続のオールスターにも選ばれたが、チームはシーズン終盤に調子を落とし、またもプレイオフを逃した。
 
2006年シーズンを前に、前NBAコーチのポール・ウェストヘッドがマーキュリーのヘッドコーチに就任し、アップテンポなスタイルを持ち込んだ。2006年のドラフト1巡目2位でキャピー・ポンデクスターを指名し、メンバーも整ってきた。
 
ウェストヘッドのアップテンポなスタイルはダイアナにフィットし、WNBAの得点王となるとともに3年連続のオールスターにも選ばれた。ダイアナはこの年、シーズン最多得点(741得点)と1試合の最多得点記録(47点)を塗り変えた。2006年の個人記録は1試合平均25.3得点、4.1アシスト、3.6リバウンドであった。マーキュリーは18勝16敗の成績を残したが、ヒューストン、シアトルとのタイブレークに敗れ、またしてもプレイオフを逃した。
 
2007年、ダイアナは遂にプレイオフにたどりついた。1回戦、マーキュリーは2連勝でシアトル・ストームを退けた。次に接戦となったが、サンアントニオ・シルバースターズも2連勝で撃破。マーキュリーは遂にWNBAファイナルに進出し、前年度チャンピオンのデトロイト・ショックと対戦することとなった。ファイナルは激戦となったが、ダイアナとポンデクスター(ファイナルMVP)の活躍でマーキュリーが初のWNBAチャンピオンに輝いた。これにより、ダイアナはNCAAチャンピオン、WNBAチャンピオン、オリンピック金メダルのすべてを獲得した6人目の選手となった(他の5人はルース・ライリー、シェリル・スウープス、スウィン・キャッシュ、カラ・ウォルタース、スー・バード)。
 
2004年、2008年にはアメリカ代表としてオリンピックに出場し、いずれも金メダルを獲得した。

(Last Update 2008/9/9)
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