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アメリカ女子プロバスケットボールリーグ、WNBAの情報サイトです!
03 . May
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06 . September


いつも笑顔でいるため”サンシャイン”というニックネームを持つデリーシャ・ミルトン・ジョーンズは、スパークス2連覇の立役者であると同時に、2000年シドニー五輪の金メダリストでもある。今年のアテネ五輪代表にも選ばれていた彼女であるが、キューバへの遠征前の練習で膝を故障したという心配なニュースが入ってきた。現時点で詳しい状況は把握できないが、デリーシャの離脱はアテネ五輪のみならず、王座奪回を目指すスパークスにとって大きな痛手となろう。
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06 . September


WNBAの2003年シーズン最大の驚きは、前年リーグ最低の成績だったデトロイト・ショックが一躍リーグ最高勝率を挙げ、プレイオフでも一気に王座へ駆け上がったことであった。解散したマイアミ・ソルから移籍してきたセンターのルース・ライリー、新人王に輝いたカール・マローンの娘であるシェリル・フォードなど新メンバーの活躍も大きかったが、ヘッドコーチのビル・レインビアも認める若きショックの大黒柱は2年目を迎えたスウィン・キャッシュであった。レインビアはキャッシュのことを「スモールフォワードの未来形」と表現する。長い手足を生かした動きは優雅そのもので、安定したオフェンス力を誇っている。
06 . September


2003年6月27日、MSGでのショック戦の第1クォーターに途中出場したベッキー・ハモンは、その直後に他の選手と接触して靭帯を切ってしまい、残りのシーズンは絶望となった。この試合まで、ベンチスタートでありながら、ベッキーはチームトップの平均得点を挙げるなど、リバティに欠かせない戦力であった。そのベッキーを失ったリバティは、チームの歴史で初めてプレイオフ進出を逃してしまったのであった。
06 . September


2000年のシドニー五輪。金メダルを獲得したアメリカチームのデリーシャ・ミルトンは、チームメイトであるヨランダ・グリフィスを畏敬の念を持って見ていた。「ヨランダはスーパー・ママよ。ここに来るまで、どれだけの苦難と戦ってきたことか。彼女は母親としても金メダリストよ」とミルトンは言う。そのヨランダが歩んできた人生とは、、、
06 . September


可憐な笑顔の下には、負けん気の強い素顔が隠されている。ルーキーイヤーから2年連続でオールWNBAファーストチームに選出されたスー・バードは、現在WNBAを代表するポイントガードと言えるだろう。名門コネチカット大学で2回のNCAA優勝を果し、4年時には全米最優秀選手に選出。2002年のWNBAドラフトではNo.1ピックを持っていたシアトル・ストームが躊躇なくバードをピック。その期待に応えて、一躍リーグを代表する選手に躍り出た。カレッジ時代からファンも多く、リサ・レスリーなどと並んで、WNBAの顔としてCMなどでも活躍している。
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